カントライフ
俺は迷っている。
生涯かけてカントをやるか、やらないか。
TO BE OR NOT TO BE.
とりあえず
がまずもっての分析対象ではないだろうか。
カントは道徳形而上学や永遠平和のためになど、例えば道徳について語らせる人物ではないんじゃないか。
このブログのアイデアや生涯1人の哲学者に絞るということは、デカルトに関して、同じような事をやっている人がいて、それを若干借りてきている。
リソースという素晴らしい言葉があるが、30歳を過ぎてわかってきたのは、リソースは振り分けられないということだ。
リソースは振り分けられない。
一つの哲学者の分析に特化すれば、今にでも始められる。
そこで感じる事なんだが、なんだかカントの哲学はいわゆるコスパが悪い感覚を覚える。
純粋理性批判の初めだけ、訳も分からず読んでみたが、テクニカルタームの使い方がひどく雑じゃないだろうか。
感性
悟性
理性
現存在
主観
客観
経験
直観
直観様式
直感
根源的直観
連関
派生的直観
知性
知覚
知性的直観
経験的概念
概念
先験的
理念
平気で雑な組み合わせで本の中の重要な用語の用意をしてくる。
一つ解説書を触りだけ読んだが、やはりそう感じるカントの悪文にこそ突破口が与えられるみたいだ。
触りだけ読んだが御子柴さんのデカいカントの本はすごく丁寧で、オリジナルテクストを読む必要があるのかと思った。
、、、、タバコが吸いたい。
一度全部の概念(純粋理性批判における重要ターム)を洗い出してやろうか。